概要 沿革  HISTORY

高野山真言宗 妙智山 法華寺 歓成院

住 職   摩尼秀法(第26世)
 
開基年    永禄3年(1560年)
 
開創者    善通法印
 
本 尊     十一面観世音菩薩
 
仏 像    不動明王  薬師如来  弘法大師  聖観音
                  タイ釈迦立像  タイ釈迦座像  スリランカ釈迦座像
               マレーシア仏  チベット仏

霊 場   旧小机領三十三所観音霊場  十二番
      新四国東国八十八所  二十三番

行 事    新年初詣  花まつり  盂蘭盆施餓鬼会 
       除夜の鐘(12/31午後11時30分撞き始め おしるこ接待


早朝勤行 
 住職祈祷 月~金・日曜 祭日  6時45分 ~ 7時15分
      その後、7時30分まで全員でお経を読経
      土曜  休行

本堂


 当院は、室町時代に善通法印により開創されたが、その開創年月日は正式の記録が残されていないため、開山和尚、善通法印の没年である永禄三年をもって開創としている。 
 本尊は現在は十一面観音であるが、安政三年の本堂焼失前は不動明王であったという。現存する元禄期開眼と記された不動明王立像が、その本尊仏であるかどうかは判然としない。現本尊、十一面観音観音座像は鎌倉期の運慶の作と古い石柱に刻まれているが、本院と大倉山駅との中間の山麓に位置していた飛地境内の観音堂に安置されていたされていたものを、火災後、観音堂ともども本境内に移したものである。 
 明治三十年に本堂を再建後は、仮本堂となっていた旧観音堂を庫裡として永年使っていたが、昭和四十八年庫裡・客殿の新築に伴い解体された。

 
 

鐘楼堂


 昭和五十九年御遠忌記念として再建されたものである。
 旧鐘楼堂は現存の山門ともども安政大火の跡を柱にとどめる芽葺きのものであったが、響きが良く近在の人々に親しまれていた梵鐘が戦時供出されるに及び、戦後間もない頃、キャサリンと名付けられた台風により倒壊してしまった。