隈研吾氏と大倉山
今や世界的な建築家となられた隈研吾氏はここ大倉山のご出身で、ご実家は当院から徒歩数分の並びにございます。著書「僕の場所」には2章にわたり大倉山での思い出や建築家を意識されるきっかけがリアルに記されております。大倉山という里山で遊んだ日々、その土の香り、友人との経験、木造の実家の増築計画に参加した思い出など。まさにこの大倉山で育った日々が現在の氏のアイデンティティとなっていることは著書以外にも、様々な記事やインタビューから伺い知ることができます。今回隈研吾氏にとりましても初めての地元でのプロジェクトでもあるわけです。
当院としては、「建築は地に根差すもの。その地を熟知している方が設計することが一番である」との思いがあり、今回の事業にふさわしい建築家として隈氏以外にないと考え、直接隈氏にご相談を申し上げたところ、「思い出のある大倉山のプロジェクト。ぜひご一緒させてください。」とご快諾をいただきました。皆様もご存知の通り、発案時は新国立競技場の設計、世界各地での大規模プロジェクトが重なり多忙を極める時期でございましたが、大倉山の特性を生かしながらも歴史ある寺院にふさわしい設計をご依頼申し上げました。
仏教では「縁」を大切にいたします。この大倉山という土地が繋げてくれた今回のご縁に感謝しております。また当院のお檀家様とも親戚関係にあり、その方と隈氏は一緒に住んでいたこともあることを後から知ることになり、さらにご縁を強く感じた次第です。
プロジェクト内容
1.本堂耐震補強工事
当院の本堂は築約125年という歴史的建造物です。この時間の流れの間に大災が2回ございました。1回は大正12年(1923年)の関東大震災です。この震災により関東の木造建築は壊滅的な被害にあい、寺院のお堂も倒壊するなど大きな被害にあいました。関東に古いお堂が少ないのもこの震災の被害によるものでありますが、当院の本堂は大倉山の山裾という頑丈な地盤と、柱と礎石を固定していないという伝統的な耐震の技術のお陰で、礎石から柱が外れ前に飛び出したものの倒壊は免れました。その後柱を礎石に戻し、歪みを残しつつ現在に至ります。
2回目の大災は第二次世界大戦による空襲であります。近隣の住宅が焼夷弾で焼失する中、当院は奇跡的に無傷でありました。
この 2回にわたる大きな災いを免れることができた本堂を、これから永年にわたり残していかなくてはなりません。数十年内に高確率で襲うとされている大震災に耐えうる構造補強、火災時に延焼を最小限にする為の防火対策を行う計画です。また当院の本堂は伝統建築様式で建設された建造物であるため、極力外観を変更することなく補強をすることが大きな課題でした。そのために詳細な構造調査を行い、それを受けて木材の特性や木材の組方など本来通常の構造計算時に考慮をしない項目も計算に加えた限界耐力計算を実施し、屋根裏や床下などの見えない箇所の補強を計画しました。構造計算は日本各地の国宝等の構造設計をされている、江尻建築構造設計事務所に隈氏のご紹介を受け依頼いたしました。
2.客殿庫裡建替え工事
当院の現在の客殿庫裡は、築約 50年でその老朽化が激しく、 50年先を考え建替えを決心いたしました。
大倉山の特性を生かし地域に親しまれるような建築を目指します。また災害に強い建造物にするため、頑丈な構造設計、防火シャッターの設置や防火材の使用など火災に強い設計、また防犯対策として防犯シャッターや防犯ガラスの使用など、様々な災害に対応できる設計をしております。
3.庭園・境内整備
上記の建築に合わせ、エントランス前に前庭、本堂と客殿の間に後庭を設けるなど、境内の庭園設計を著名な庭園の設計施工をされている株式会社岩城に依頼しました。また当院の敷地は緑地保全地区に指定されており、一定以上の緑化が条件になっている為、建物周辺部や建築敷地内に緑化の計画をしております。それらは岩城造園と隈研吾氏の共同設計として進めております。
本プロジェクトは既に計画から数年経ておりますが、ようやく令和 2年 12月に着工いたしました。令和4年5月の竣工を目指しておりますので、完成を楽しみにしていただけたら幸いです。
なお、工事中は工事動線と幼稚園動線とを明確に分け、安全な工事を進めてまいります。最終的には寺院の参拝動線と幼稚園の登降園動線とを分ける外構工事を行い、より安心して双方の来訪者をお迎えできる環境を計画しております。
(今般の世界情勢の影響により工期が延びており、竣工は7月末を予定しております。)
【設計・管理】隈研吾建築都市設計事務所
【施工】中島工務店(岐阜)
【構造】江尻建築構造設計事務所
【造園・緑化計画】株式会社岩城
【設備設計】環境エンジニアリング
今や世界的な建築家となられた隈研吾氏はここ大倉山のご出身で、ご実家は当院から徒歩数分の並びにございます。著書「僕の場所」には2章にわたり大倉山での思い出や建築家を意識されるきっかけがリアルに記されております。大倉山という里山で遊んだ日々、その土の香り、友人との経験、木造の実家の増築計画に参加した思い出など。まさにこの大倉山で育った日々が現在の氏のアイデンティティとなっていることは著書以外にも、様々な記事やインタビューから伺い知ることができます。今回隈研吾氏にとりましても初めての地元でのプロジェクトでもあるわけです。
当院としては、「建築は地に根差すもの。その地を熟知している方が設計することが一番である」との思いがあり、今回の事業にふさわしい建築家として隈氏以外にないと考え、直接隈氏にご相談を申し上げたところ、「思い出のある大倉山のプロジェクト。ぜひご一緒させてください。」とご快諾をいただきました。皆様もご存知の通り、発案時は新国立競技場の設計、世界各地での大規模プロジェクトが重なり多忙を極める時期でございましたが、大倉山の特性を生かしながらも歴史ある寺院にふさわしい設計をご依頼申し上げました。
仏教では「縁」を大切にいたします。この大倉山という土地が繋げてくれた今回のご縁に感謝しております。また当院のお檀家様とも親戚関係にあり、その方と隈氏は一緒に住んでいたこともあることを後から知ることになり、さらにご縁を強く感じた次第です。
プロジェクト内容
1.本堂耐震補強工事
当院の本堂は築約125年という歴史的建造物です。この時間の流れの間に大災が2回ございました。1回は大正12年(1923年)の関東大震災です。この震災により関東の木造建築は壊滅的な被害にあい、寺院のお堂も倒壊するなど大きな被害にあいました。関東に古いお堂が少ないのもこの震災の被害によるものでありますが、当院の本堂は大倉山の山裾という頑丈な地盤と、柱と礎石を固定していないという伝統的な耐震の技術のお陰で、礎石から柱が外れ前に飛び出したものの倒壊は免れました。その後柱を礎石に戻し、歪みを残しつつ現在に至ります。
2回目の大災は第二次世界大戦による空襲であります。近隣の住宅が焼夷弾で焼失する中、当院は奇跡的に無傷でありました。
この 2回にわたる大きな災いを免れることができた本堂を、これから永年にわたり残していかなくてはなりません。数十年内に高確率で襲うとされている大震災に耐えうる構造補強、火災時に延焼を最小限にする為の防火対策を行う計画です。また当院の本堂は伝統建築様式で建設された建造物であるため、極力外観を変更することなく補強をすることが大きな課題でした。そのために詳細な構造調査を行い、それを受けて木材の特性や木材の組方など本来通常の構造計算時に考慮をしない項目も計算に加えた限界耐力計算を実施し、屋根裏や床下などの見えない箇所の補強を計画しました。構造計算は日本各地の国宝等の構造設計をされている、江尻建築構造設計事務所に隈氏のご紹介を受け依頼いたしました。
2.客殿庫裡建替え工事
当院の現在の客殿庫裡は、築約 50年でその老朽化が激しく、 50年先を考え建替えを決心いたしました。
大倉山の特性を生かし地域に親しまれるような建築を目指します。また災害に強い建造物にするため、頑丈な構造設計、防火シャッターの設置や防火材の使用など火災に強い設計、また防犯対策として防犯シャッターや防犯ガラスの使用など、様々な災害に対応できる設計をしております。
3.庭園・境内整備
上記の建築に合わせ、エントランス前に前庭、本堂と客殿の間に後庭を設けるなど、境内の庭園設計を著名な庭園の設計施工をされている株式会社岩城に依頼しました。また当院の敷地は緑地保全地区に指定されており、一定以上の緑化が条件になっている為、建物周辺部や建築敷地内に緑化の計画をしております。それらは岩城造園と隈研吾氏の共同設計として進めております。
本プロジェクトは既に計画から数年経ておりますが、ようやく令和 2年 12月に着工いたしました。令和4年5月の竣工を目指しておりますので、完成を楽しみにしていただけたら幸いです。
なお、工事中は工事動線と幼稚園動線とを明確に分け、安全な工事を進めてまいります。最終的には寺院の参拝動線と幼稚園の登降園動線とを分ける外構工事を行い、より安心して双方の来訪者をお迎えできる環境を計画しております。
(今般の世界情勢の影響により工期が延びており、竣工は7月末を予定しております。)
【設計・管理】隈研吾建築都市設計事務所
【施工】中島工務店(岐阜)
【構造】江尻建築構造設計事務所
【造園・緑化計画】株式会社岩城
【設備設計】環境エンジニアリング